このページでは2016年07月16日に向けてのカウントダウン文章を紹介します。
※所属等は記載当時のものになります。
#48~#40
- #48 ドミンゴ・マルティネス(西武→巨人)
- マルちゃん。とにかく足が遅かった。
- #47 工藤公康 (愛工大名電→西武ライオンズ-福岡ダイエーホークス-読売ジャイアンツ-横浜ベイスターズ-埼玉西武ライオンズ )
- 左腕のエース級が47をつけるようになったのはこの人のおかげかも
- #46 本多雄一(福岡ソフトバンクホークス)
- バントの際左足がバッターボックスからはみ出しアウトになった事が2度ある。 profile.ameba.jp本多雄一さんのプロフィールページ
http://profile.ameba.jp/pon-slugger本多雄一さんのプロフィールページです
- #45 マイケル・ジョーダン (シカゴブルズ→バーミンガムバロンズ→シカゴブルズ→ワシントンウィザーズ)
- 127試合 .202 5本 51打点 OPS.555 30盗塁
- #45 田村 龍弘(光星学院高→千葉ロッテマリーンズ)
- 圧倒的な送球力で2015年盗塁阻止率.429を誇る。幕張の小天使とも呼ばれる。
- #44 ランディ・バース (阪神タイガース)
- 神様・バックスクリーン3連発【そーれかっとばせバース!ライトへレフトへホームラン!】
- #44 アダム・ダン (シンシナティ・レッズ→アリゾナ・ダイヤモンドバックス→ワシントン・ナショナルズ→シカゴ・ホワイトソックス→オークランド・アスレチックス)
- 三振かホームランか四球か、三種の打撃結果の多い大型扇風機。現役時代全てのシーズンで三振数が安打数を上回った。
- #44 門田 博光(南海ホークス→オリックス・ブレーブス→福岡ダイエーホークス)
- 不惑の大砲。「ヒットはホームランの打ち損ない」
- #43 小笠原 孝(市立船橋高→明治大→中日ドラゴンズ)
- ローテの隙間を埋める「非常食」ポジションが多かったが、月間MVPを獲得したことも。現在二軍投手コーチとして小笠原監督と共に小笠原を育成し、先日一軍に送り出した。
- #42 ドミンゴ・グスマン(横浜ベイスターズ→中日ドラゴンズ→東北楽天ゴールデンイーグルス)
- 試合中の投球前に股間などをいじる癖がある。打撃が得意ではなく、18打席連続三振の世界記録保持者でもある。
- #41 小林 宏之(千葉ロッテマリーンズ→阪神タイガース→独立リーグ→埼玉西武ライオンズ)
- 2004年開幕前、6年間交際していた当時18歳の女性と入籍。(小林は当時25歳)
2005年先発三本柱の一角として12勝を挙げ、日本一に貢献。阪神移籍後は中継ぎとなったが振るわず。
- #40 達川 光男(広島東洋カープ)
- ・ネイティブ広島弁がすごすぎて、テレビCMで何を言ってるのか聞き取れないと問合せが多数あるらしい
(参考:http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13114832573)
・AGにとっては光男といえばLightmanshardsかもしれませんが、やきう民にとっては達川!
#39~#30
- #39 マイク・グリーンウェル(ボストンレッドソックス→阪神タイガース)
- 大リーグ12年間の通算打率が3割以上。大きな期待を持って獲得するものの、神のお告げで帰国。
- #39 オレステス・デストラーデ(MLB→西武ライオンズ→MLB→西武ライオンズ)
- カリブの怪人。西武黄金期を支えた「秋山Kデストラーデ」のクリーンナップ は最強。眼鏡とHR打った後のポーズが印象的。
- #39 ブライアン・トラックスラー(福岡ダイエーホークス)
- wikipediaによれば
>帰国後、マイナーリーグや中華職棒の和信ホエールズ(登録名は威力強)でプレーを続けた。
_人人人人人人_
> 威 力 強 <
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- #38 マルコス・マテオ(阪神タイガース)
- マテオとドリスの差がわかんない。「ちょマテオw」
- #37 嶋 基宏(東北楽天ゴールデンイーグルス)
- 生来のキャプテンシーで楽天イーグルスを引っ張る若きリーダー。
内角も苦にせず流し打つ通称「嶋流し」は芸術の域。
東日本大震災復興支援試合でのスピーチ「見せましょう、野球の底力を。見せましょう、野球選手の底力を。見せましょう、野球ファンの底力を」で日本中に勇気と感動を与えたことは記憶に新しい。
日本プロ野球選手会第8代会長。
- #36 池山 隆寛(ヤクルトスワローズ)
- 1988年から5年連続で30本塁打以上を達成。90年には遊撃手として初の「3割30本」を達成したミスタースワローズ。
現役時代は「ブンブン丸」の愛称で親しまれた豪快なフルスイングが有名だが、91年にはわずか4失策など守備の名手でもあった。
- #35 鈴木 大地(桐蔭学園高-東洋大-千葉ロッテマリーンズ)
- 「35」を使っていたのは2013年まで。2014年に背番号「7」へ変更、また、チームキャップテンに就任。
東洋大学を勝利に導いたキャプテンシーが期待される。同じ千葉ロッテでプレーする藤岡貴裕投手は東洋大の同級生である。
顔にホクロが多いためチームメイトから「チョコチップ」と呼ばれることがあるようで、外国人であるルイス・クルーズ選手のSNSにも鈴木選手の写真とともに「#chocochip」のタグが添えられている。
- #35 ダン・ミセリ(MLB→読売ジャイアンツ→浅草)
- クローザーとして獲得されたものの、開幕戦で2ホームランを浴びるなど炎上。
2試合目の登板ではサヨナラヒットを打たれ、翌日のハマスタのゲームで横浜ファンからミセリコールを浴びる。(この試合では登板なし)
3試合目の登板ではホームランを打たれ、「こんなリトルリーグみたいに狭い球場でやっているからだ」と発言。
4試合目は0-10の大量ビハインドでの敗戦処理の登板。この最後の登板が唯一無失点で抑えた試合である。
その後巨人の球団史上最速で解雇され、荷物をまとめた当日にミセリは浅草を観光していた。
この様子は家族で人力車を楽しむ写真とともに、「仲見世リ(なかみせり)」の見出しで報道された。
巨人ファン以外の野球ファンの記憶にも残る伝説のダメ外人である。
- #34 山本昌(日大藤沢高→中日ドラゴンズ)
- 50歳まで現役を通したレジェンド。沖縄キャンプに数十年通ったため滞在日数を合計すると3年間ほど沖縄に住んだことになるらしい
- #33 菊池 涼介(広島東洋カープ)
- 守備と変顔の名手。甘党。明るく、口数が多い。テレビには話しかけてしまうタイプ(こんにちは!とかを返す)
- #31 石原 慶幸(広島東洋カープ)
- 飛ぶキャッチャー。そしてインチキ。溢れる野性味のせいかバナナのコラをされることも。奥さんは元グラドル。 adderjewelry.seesaa.net謎のサヨナラ力〜達川の系譜を受け継ぐインチキ〜石原慶幸捕手の巻: 深田のブログ
http://adderjewelry.seesaa.net/s/article/404476531.html謎のサヨナラ力〜達川の系譜を受け継ぐインチキ〜石原慶幸捕手の巻,千葉県木更津市でひっそりとインターネット小売業を営むOffice:F代表 深田 和樹のブログ。希に商品紹介をしつつ、バイク、ウイスキー、ビール、音楽などなど多彩なジャンルの日記を書いています。
- #31 ブラッド・ペニー(MLB→ソフトバンクホークス)
- メジャーで最多勝をあげたことのある外国人枠投手の入団は、NPB史上初のことで大きな注目を集めた。(推定年俸2億2800万円)
4月4日の楽天戦で来日初先発したが、3回1/3(64球)を投げ6失点という内容で、5盗塁を許し敗戦投手となった。
うち3つの盗塁を決めた聖澤選手は、牽制時の癖を見抜いていたことをのちに明かしている。
この試合後右肩の痛みを訴え2軍へ。4月6日に福岡市内で精密検査を行ったところ「異常なし」。
本人の希望で米国に帰国し再検査したものの、やはり「異常なし」で結局5月に契約解除。
1球あたり356万の高い買い物であった。
その後Twitterで「It’s great to be back in the states!!!!!(アメリカに戻れて最高だ!)」などと発言するなど、2010年代のクソ外人史を語るうえでまず最初に上がる逸材である。
- #30 犬飼小次郎(土佐丸高→南海ホークス→福岡ダイエーホークス→四国アイアンドッグス)
- 通称「鳴門の牙」。土佐丸高校時代、明訓・山田から初三振を奪う。四国アイアンドッグス選手兼任監督。
- #30 長谷部 康平(東北楽天ゴールデンイーグルス)
- 2007年大学社会人ドラフト1位で楽天に入団。
彼が一躍有名になったのは2010年9月3日の西武戦で先発した試合での出来事である。
初回、いきなり4者連続フォアボールで押し出しの失点。(打者4人ともスイングすらせず)
続く5番中村への3球目がこの試合西武打線の初スイングであったが、無情にもボールはスタンドへ。
野手の守備機会ゼロで1安打5失点という伝説の誕生である。
その後長谷部は三者連続三振に抑えこのイニングを終える。
これが一部で有名な「四球四球四球四球本塁打三振三振三振」事件である。
#29~#20
- #29 福田 聡志(読売ジャイアンツ)
- 独特のフォームから平均球速約144km最速155kmの速球を繰り出す。ストレートとスライダー、カットボールが主な武器で、時折フォーク、カーブを投げる。組を動かす事もできる。
- #28 高木 京介(読売ジャイアンツ)
- 野球賭博への関与により、プロ野球史上初の有期失格選手となった。笠原投手、福田投手、松本投手は無期失格となっている。
- #28 プリンス・フィルダー(MIL→DET→TEX)
- 父セシルが阪神に在籍していた頃、当時の阪神コーチ陣にバッティングセンスを称賛された事がある。MLBを代表するスラッガー。現在の背番号は84 www.afpbb.com
フィルダーの活躍でナ・リーグが2連勝、第82回MLBオールスターhttp://www.afpbb.com/articles/-/2812557?act=all【7月13日 AFP】米大リーグ(MLB)第82回MLBオールスターゲーム(82nd All-Star Game)が12日、アリゾナ(Arizona)州フェニックス(Phoenix)のチェイス・フィールド(Chase Field)で開催され、3点本塁打を放ったプリンス・フィルダー(Prince Fielder)の活躍でナ・リーグが5-1で勝利した。
- #28 バスター・ポージー(サンフランシスコ・ジャイアンツ)
- MLB屈指の強打の捕手。7年で.310の通算打率。首位打者1回。
2011年に本塁へ走って来た走者からタックルを受け左足首じん帯を切る重傷を負った。
この事故を切っ掛けに本塁でのクロスプレーに関する議論が高まり、2015年に衝突ルール(コリジョンルール)がMLBで採用され、翌2016年に日本プロ野球でも採用されている。
- #27 古田 敦也(東京ヤクルトスワローズ)
- かつて野球界には「メガネの捕手は大成しない」という固定観念があり、大学時代は指名を見送られる。
しかしプロ入り後は「ID野球の申し子」として90年代のヤクルト黄金時代を支える。
打撃では首位打者も獲得するなど、大学社会人を経た選手として初めて2000本安打を達成。
守備では日本記録の盗塁阻止率.644を記録するなど入団から13年連続で盗塁阻止率4割以上を達成している。
晩年は兼任監督も務め、「代打、俺」が話題となった。
- #27 ナイジャー・モーガン (ピッツバーグ・パイレーツ-ワシントン・ナショナルズ-ミルウォーキー・ブルワーズ-横浜DeNAベイスターズ-クリーブランド・インディアンス-ハンファ・イーグルス)
- 試合中は「トニー・プラッシュ」という別人格を演じている、と語る。出塁・得点時には「トニー」の頭文字である「T」を手で作り、このポーズをはじめとしたエンターテイナーぶりが話題となった。
横浜在籍中、ヒーローインタビューは毎回「ABAYO!」と言って締めくくっていた。そのため、柳沢慎吾氏が始球式に登場したり、コラボグッズが発売されたりした。試合中に後藤武敏からよくガムをもらっていた。
応援歌では外国人用のコールとして「Go Go モーガン」と歌っていたが、本人は「Mo Mo モーガン」だと思っていた。ちなみに、この後応援歌は「トニー!プラッシュ!モーガン!」へ変化した。
プレーでは、華麗なセーフティバント、猛烈なキャッチを見せた。1年だけの在籍であったが、横浜ファンの記憶に強く残る助っ人となった。
- #26 江夏 豊(広島東洋カープ)
- シーズン奪三振世界一、オールスター 15連続奪三振(年をまたいでの記録、1試合では9連続)、延長戦でノーヒットノーラン、セパ両リーグでMVP等々、大投手的な記録はうなるほど持っている。広島黄金時代にはリリーフエースとして君臨。
79年、互いに球団史上初の日本一を賭けた近鉄との日本シリーズ第七戦、1点リードの9回裏に登板。ヒット、四球から敬遠を選び無死満塁のピンチを招くが、空振り三振、スクイズ外し、空振り三振で抑え、ゲームセットとなった。この時の様子は「江夏の21球」として後年にもたびたび名場面集で取り上げられ、それで知ったファンも。
90年代には覚せい剤所持で服役、名球会を退会したが、現在は復帰。どこまでもドラマチックな野球人生。
- #26 廣瀬 純(広島東洋カープ)
- 2013年、4月21日の対巨人戦の第4打席から4月26日の対中日戦(マツダ)の第4打席まで日本プロ野球新記録の15打席連続出塁をなしとげた。
- #26
- 26-0: 東北楽天ゴールデンイーグルス創設初年度の2005年開幕2戦目における千葉ロッテマリーンズ戦のスコア。バレンタイン監督のぐう畜ぶりが光る。
- #25 筒香 嘉智(横浜DeNAベイスターズ)
- DeNAの4番でありキャプテン。別名「ハマの和製大砲」
その名の通りホームランバッターであり、7回、8回で打席に立った時の筒香に対するファンの期待と声援の熱量は一度球場で体感すべし。
- #25 バリー・ボンズ(サンフランシスコ・ジャイアンツ)
- MLB歴代1位記録となる通算762本塁打、シーズン73本塁打、500本塁打500盗塁など、キャリアを通じて数々の記録を残し、史上最も偉大な野球選手の一人とされる。
2000年代以降に体格が突然巨大化したこと、30歳代後半の年齢でパフォーマンスが一気に向上した事から、禁止されている運動能力向上薬物を使用しているとの噂が絶えなかった。薬物使用を巡る裁判では無罪となり、司法の世界では白とされたが、限りなく黒に近いグレーである。
1シーズン232四球(うち120敬遠)というとんでもない記録も持っている。
- #24 コービー・ブライアント(ロサンゼルス・レイカーズ)
- やきうとは無関係だが、背番号24と言ったら彼しかいない。つい先日引退したNBAのスーパースター。コービー(kobe)の由来は神戸から。
- #24 高橋 由伸 (慶応大-読売ジャイアンツ)
- 慶應義塾大学野球部出身。東京六大学リーグ本塁打記録を更新して歴代1位となる通算23本塁打を放つ。
入団当初より長嶋茂雄監督から「21世紀のスター」として期待されるが、GG賞は7度も獲得するものの打撃タイトルとは無縁だった。
ちなみに2009年に3億円事件を起こす。(年俸35000万(推定)で出場1試合・1打席(三振))
2016年より現職。NPBでは史上初の「昭和50年代生まれの監督」となる。
- #23 フレデリク・セペダ(サンクティスピリトゥス→読売ジャイアンツ)
- 五輪に2回、WBCに3回出場し、第2回WBCでは首位打者とベストナインを獲得したキューバの至宝。
巨人へ鳴り物入りで入団したが、1年目は.194、2年目は28打席無安打の.000とファンの期待を大きく裏切った。2年目のシーズン終了後に自由契約となり巨人を退団した。
- #23 青木 宣親(東京ヤクルトスワローズ→MLB)
- 2005年、2年目からレギュラーとして定着すると、イチロー以来のシーズン200安打を達成し、最多安打・首位打者・新人王のタイトルを獲得。
2006年にはそれまで5年連続盗塁王だった赤星から盗塁王のタイトルを奪取。
2007年には史上最速で500本安打を達成し、2010年にはプロ野球史上初となる2度目のシーズン200本安打。
2011年には初めて打率3割を切り、東スポに「3割切ったら引退」と語ったとされる通り、この年限りでNPBを退き、2012年以降はMLBに活躍の場を移した。
青木が入団時つけていた背番号23は、後に山田哲人が背負いトリプルスリーを達成するなどの大活躍。
背番号23はヤクルトにおいては出世番号となっている。
- #22 タブチ(田淵 幸一:阪神タイガース→西武ライオンズ)
- 法政一高から法政大学を経て1968年ドラフト1位指名を受け阪神タイガースに入団。なお、本人は巨人を希望していたとされる。1969年新人王、1975年本塁打王。1978年オフに西武へトレードされ、1984年シーズンをもって引退。
通算1532安打、474本塁打の強打者で「ホームラン・アーチスト」と呼ばれたように、ホームランの飛距離の長さや打球が描く軌道の美しさで知られる。ポジションは捕手であるが、性格が素直で優しいため捕手向きではなかったと評されることもあり、負傷なども相まって一塁手や、西武移籍後は指名打者も多かった。
なお、1973年、1974年には捕手としてダイヤモンドグラブ賞を獲得している。残念ながら死球などによる故障も多く、ために両リーグでの本塁打王を逃している。
いしいひさいちの「がんばれ!!タブチくん!!」でネタにされた結果、野球ファン以外にも有名となった。
- #22 ヤスダ(安田猛:ヤクルトスワローズ)
- 小倉高校から早稲田大学に進学し、大昭和製紙を経て1971年ドラフト6位でヤクルトに。1972年新人王と最優秀防御率、1973年最優秀防御率。プロ生活10年で93勝80敗、同一シーズン内の81イニング連続無四死球というNPB記録を持つ、サイドスローの技巧派左腕投手として知られる。
が、奇しくも同じ背番号の田淵幸一とともにいしいひさいちの「がんばれ!!タブチくん!!」でネタにされた結果、「オーヤくん、オーヤくん、新魔球を開発したんだ」とペンギン投法で怪しげな魔球を投げるイメージしかわかない。
なお、81イニング連続無四死球は、田淵への敬遠四球後に始まり、田淵への敬遠四球で終わっている。
- #21 杉浦 忠(南海ホークス)
- 史上5人目の投手五冠王を達成した投手。
通算187勝で名球会には入っていないが、落合博満が「あの杉浦さんが入れない名球会に意味があるの?」と疑問を呈するほどの名投手。
背番号の21は「カウント2ストライク1ボールと追い込み、そこから勝負するのが投手」という信念かららしい。
ルーキー1年目に27勝をあげ新人王。ルーキー二年目の日本シリーズでは巨人に対し4連投4連勝し日本一に。元々はオーバースローだったが一投ごとにメガネがずれるので、頭の位置を安定させるためにアンダスローに転向しコントロールがよくなった。長嶋茂雄とは立教同級生で、ともに南海入団予定だったが長嶋は巨人に入団。
近鉄投手コーチを経て1985年南海の監督に就任。初代ダイエーホークス監督。監督引退後は解説者を務め「マイクの前のジェントルマン」と呼ばれる。
- #21 岩隈 久志(大阪近鉄バファローズ→オリックス・バファローズ→東北楽天ゴールデンイーグルス→シアトル・マリナーズ)
- 近鉄とオリックスの球団合併と楽天の新規参入に伴う分配ドラフトではオリックス・バファローズに分配されたがこれを拒否。その結果、金銭トレードで楽天へ移籍となった。
ケガをしてシーズンを棒に振った経験から、無理をしない事を信条としているため、大敗しているケースでも無いのに球数100球未満で降板する場面が度々あり、楽天時代の監督の野村克也や張本勲などに、チームのエースとしての姿勢に反する行動と批判された事がある。
現在MLB屈指の省エネ投手で、四球や被安打を抑える投球術に長けており1イニングあたりの球数が少ない。
- #20 伊藤智仁(ヤクルトスワローズ)
- ノビのある直球とプロ野球史上最高とも言われるスライダーを武器とした投手。ルーキーイヤーに7勝2敗防御率0.91という成績を残し新人王を獲得した。
肘や肩の故障に悩まされ、最後となった登板では直球が109km/hしか出なかった。当時監督であった野村克也は身体への負担が大きいフォームを改善させなかった事を悔いている。現在はヤクルトの一軍投手コーチ。
#19~#10
- #19 森福 允彦 (福岡ソフトバンクホークス)
- サイン交換が終わってから投球モーションに入る前に左手を高く上げる動作が独特。
投球の間合いが非常に長く、長い時には森福が1球投げる間に牧田和久は3球投げ、青木宣親はランニングホームランを3本打ち、水が沸騰するとも言われている。
- #18 松坂 大輔(西武ライオンズ→ボストン・レッドソックス→ニューヨーク・メッツ→福岡ソフトバンクホークス)
- 横浜高校時代夏の全国高校野球大会にて準々決勝延長17回250球完投&決勝戦のノーヒットノーラン、プロ初先発で155kmを記録、イチローとの初対決で3打席連続三振を奪う、第一回&第二回WBCでMVPなど、漫画の主人公のような経歴・エピソードを持っている投手。
2014年のオフシーズンにソフトバンクと3年12億の契約を結び9年ぶりに日本球界復帰となったが、故障により2015年2016年本日まで一軍登板無し。
- #17 山田 久志(阪急ブレーブス)
- アンダースローの投手としてはNPB最多の通算284勝を記録し、史上最高のサブマリン投手と称されることもある。
1988年、阪急ブレーブスの歴史の終わりとともにユニフォームを脱いだ。
- #16 多田野 数人(クリーブランド・インディアンス→徳島インディゴソックス→日本ハムファイターズ→石川ミリオンスターズ)
- MLB、NPB、独立リーグなど、経歴が多彩な投手。立教大学時代には通算56試合で20勝16敗、防御率1.51、奪三振334の成績を残した。
2009年7月10日千葉ロッテマリーンズ戦で先発としてマウンドに上がり、あと一人でノーヒットノーラン達成というところまでこぎつけるも、大松尚逸にライト前ヒットを打たれ快挙を阻まれるがプロ入り初完封勝利を挙げた。
- #15 野村貴仁(オリックス・ブルーウェーブ→読売ジャイアンツ→ミルウォーキー・ブルワーズ→日本ハムファイターズ→台湾誠泰→檻)
- 90年ドラフト3位でオリックス入団。95年96年にはセットアッパーとして活躍し、オリックスの連覇を支えた。
98年からトレードで巨人に移籍するが、グリーニー配布以外の活躍ができなかった。
2002年にはブルワーズで21試合に登板。元メジャーリーガーとなる。
その後、日ハム・台湾で目立った活躍ができず、2004年に現役を引退。
2006年、覚せい剤取締法違反で逮捕され有罪判決を受けた。
時を経て2016年、某氏の逮捕により脚光を浴び、社会復帰を果たしているような気がしなくもない。
- #14 則本 昂大(東北楽天ゴールデンイーグルス)
- 2012年、社会人野球の日本生命に入社が内定していたが、これを辞退し楽天が2位で指名。その後則本は「日本生命セ・パ交流戦 2014」で日本生命賞(期間中リーグ内で活躍が目立った選手)を受賞。日本生命とは切っても切れない縁がある。
- #13 岩瀬 仁紀(中日ドラゴンズ)
- 日本プロ野球における通算セーブ数記録保持者(本日現在402セーブ)
海外に出発する際、間違えて奥さんのパスポートを空港に持ってきてしまったり、川上憲伸と一緒にタクシーに乗ってドライバーに「お連れは川上さんのマネージャーですか?」と言われるなど、マウンドを降りると残念エピソードまみれ。
- #13 大沼 幸二(西武ライオンズ→横浜ベイスターズ)
- 西武のリリーフ陣において2軍で好投、1軍でもビハインドではきっちり抑えるがリード時には炎上という、1軍半の投手を指す「俺達」総帥。
通称沼者。2000年ドラフト1位で西武に入団し、2004年には初完封をするなど西武の日本シリーズ進出に貢献した。
以降は中継ぎ・ロングリリーフとして活躍。2009年9月のロッテ戦では、9回裏から登板し四球→死球→犠打→敬遠→暴投で相手に何もさせずサヨナラ負けを喫し、俺達総帥に認定された。
2011年にトレードで横浜に移籍。三浦の勝ちを消したり、他人のランナーを返しても素敵な笑顔を見せるなど、強靭なメンタルをファンに見せつけた。
2012年、右肩痛が治らず引退。これほど楽しそうに炎上する投手はおらず、記録より記憶に残る選手とはまさにこの人のことである。
- #12 広瀬 叔功(南海ホークス)
- 通算盗塁596で歴代二位。しかしながら、通算盗塁成功率82.9%(596盗塁123盗塁死)は300盗塁以上の選手では歴代1位。独自の盗塁哲学から盗塁数が抑えられていたといわれている。
「初球か2球目にスタートを切る。それが打者へのエチケット」と自身でもいっており
「僅差の場面でしか走らない」「打者が2ストライクに追い込まれたら走らない」等、有用な場面でのみ盗塁を仕掛ける職人肌の選手で高い盗塁技術を誇り、1964年3月から5月にかけて31連続盗塁成功と、1968年にシーズン盗塁成功率95.7%(成功44、失敗2)といういずれも日本記録を持っている。
- #12 鈴木 尚広(読売ジャイアンツ)
- 走塁のスペシャリスト。走塁への評価は高く、二塁ベースに滑り込むスライディングの際に、「滑る」のではなく至近距離から「跳ぶ」ように行う独特の技術を備えている。
2015年終了時点で盗塁成功率は.822であり、通算200盗塁以上の選手では広瀬叔功の.829に次いで史上2番目に高い成功率をマークしている。通算代走盗塁122の日本記録保持者でもある。
福島県相馬市にある実家は焼肉屋。
- #11 大谷 翔平(北海道日本ハムファイターズ)
- 「二刀流」といえば宮本武蔵を抜いてこの選手の名前が出る人も多いでしょう。
7月3日(日)の対ソフトバンク戦では指名打者制を放棄し、1番投手で出場。これだけでも驚かされるのにプレイボール直後の初球を先頭打者ホームラン。これが今シーズン10本目のホームラン。
投げては8回無失点10奪三振の好投。チームは2-0で勝利したが、1点目は自身のホームランで2点目は押し出し死球でホームインし全得点をあげる。
現在の彼の自責点は23で打点は25。つまり投手として打たれた点数より打者として稼いだ点数のほうが多いという良くわからない状態に突入している。
- #11 ダルビッシュ有(北海道日本ハムファイターズ→テキサス・レンジャーズ)
- 日本人とイラン人とのハーフ。NPB時代は入団3年目の2007年から2011年にかけて防御率1点台を記録。2010年からTwitterを始め、アカウント名は「faridyu」。
難癖をつけて絡んでくるtwitterユーザーとのレスバトルが大好きで、「僕が言いたいのは永遠」「僕はスポーツに関しては50%の努力と39%の頭脳と1%の才能が必要だと思っています。残りの10%は合計で90%にしかならないツイートを見た皆さんがした事です」「『カーッカーッカーッ』が普通のカラスの鳴き方やけど、『アー、アー、アオゥッッ』って鳴くカラスがいた。 自分ではカラス界のカリスマ的存在だと思ってるかもしれないが、僕は絶対間違ってると思う」等、名言を残している。
- #10 ダン・カーター(オールブラックス)
- ラグビー最強軍団ニュージーランド代表オールブラックスを牽引してきた伝説的SO(スタンドオフ)。ラグビー界のスーパースター
- #10 大松尚逸(千葉ロッテマリーンズ)
- ・9回2アウトノーヒットノーラン直前の多田野投手からヒットを打つ
・井口、金泰均が二者連続HR、大松だけ二塁打打って、次のサブローがHRで四者連続HRを阻止
・対カープ戦で1イニング一人で凡退ツーアウト残りワンアウトは大松の犠飛だったの1イニングで大松が3アウト(史上唯一1イニング3打席立った選手である)
など、記憶に残るプレーの多い選手。
#9~#0
- #9 矢野 勝嗣(松山商業高校)
- 「奇跡のバックホーム」の主役。
愛媛代表・松山商業高校と熊本代表・熊本工業高校との間で行われた第78回全国高等学校野球選手権大会の決勝戦、同点延長10回裏(熊本工業の攻撃)一死満塁からライトの守備固めで起用され、直後のプレーで逆風に戻されたライトへの大飛球を捕り、ノーバウンドでホームへ送球し、犠牲フライのスタートを切った三塁走者を捕殺した。
松山商の外野手のホーム返球は、中継かワンバウンドが決まりであったが、矢野はノーバウンドになるミスが多かった。ただし澤田監督はこの年の6月に、サヨナラの場面では定位置より後ろからはダイレクトに投げるケースもあると外野手に教えていた。矢野の背番号は9だが、当時の松山商は投手が二本柱でライトのポジションは投げていないもうひとりピッチャーが入ることが多く、甲子園や県大会で矢野の出番は少なかった。
- #9 丸 佳浩 (千葉経済大学附属高→広島東洋カープ )
- ○△□× → 丸さんカッケー死角無し!
広島の走攻守そろった特攻隊長。
2011年から一軍に定着し、2013年・2014年にはゴールデングラブ賞獲得。2014年ベストナイン賞獲得。
2014年から、現監督の緒方孝市氏の引退後空き番号となっていた背番号9をつける。
ヤクルトの川端と顔や応援歌が似ている。
- #8 仁志敏久 (常総学院高等学校-早稲田大学-日本生命-読売ジャイアンツ-横浜ベイスターズ-ランカスター・バーンストーマーズ)
- 背番号「8」をつけていたのは巨人時代。
この背番号は高田繁→原辰徳と受け継がれて、巨人の中では「3代続いて新人王を獲得した」背番号となった。「2×4=8」にちなんで、「仁志が8」と親しまれた。
引退後は筑波大学大学院で体育学を学び、侍ジャパンの監督を務めるなど、指導者・解説者として活躍している。
- #8 国生 さゆり(おニャン子クラブ)
- おニャン子クラブ会員番号No.8「夕焼けにゃんにゃん🙌」なつかしい……
- #7 F1セブン(阪神タイガース)
- 阪神暗黒期に野村克也監督が俊足選手を売り出そうとしてつけた名称。
赤星憲広(1号車)、藤本敦士(2号車)、沖原佳典(3号車)、上坂太一郎(4号車)、平下晃司(5号車)、松田匡司(6号車)、高波文一(7号車)。
田中秀太を忘れていた為、発表翌日にF1エイトと訂正したが、ほとんど話題になる事はなかった。
- #7 糸井 嘉男(京都府立宮津高等学校-近畿大学-北海道日本ハムファイターズ-オリックス・バファローズ)
- マツダオールスターゲーム2016出場決定おめでとうございます!
父はトライアスロン選手、母はバレーの国体選手、お爺さんは体育の先生。
おじいさんはあの野村克也さんを教えていたこともあるという。
不思議な言動が多く、「宇宙人」と呼ばれてしまったりもする。
エピソード集
・大学時代は投手をしていた。ある試合で打たれてしまい、監督は思わず糸井選手を殴るポーズをしてしまった。糸井選手は振り上げた手に自分の手を重ね、ハイタッチした。監督もハイタッチしてしまい、頭に来ていたことさえ忘れて冷静に戻ったそう
・プロ入り時、球団との会食を終え、記者から「どうでしたか」と問われ、「エビフライ!」と回答する。
・プロ入り3年目で野手に転向。このコンバートを支えたのが、同じく投手から野手に転向した経験を持ち、当時コーチになったばかりの大村巌さん。自らのコンバートにおいて役立った助言・意味のなかった指導も考慮してコーチングをカスタマイズしていった。“宇宙人”とも称される不思議な世界観を持つ糸井とのコミュニケーションをとるために『ペットの飼い方』といった本も参考にした。実際、後の大村と糸井は「あ」と「う」だけで会話ができるようになったという。
・2013年にオリックス・バファローズへ移籍。新居選びに際し、神戸市や西宮市、芦屋市など阪神間に住む選手が多い、ということを報道陣から聞かされた。それを受けて、「じゃあ姫路に住むわ」「(選手は)誰も住んでないでしょ。僕がパイオニアになります」と発言。なお、姫路市からは、ホーム球場のほっと神戸までは車で約1時間、京セラドームなら約2時間かかる。
- #7 クリス・カーター(MLB→西武→BC石川<背番号7>→西武→メキシコリーグ)
- スタンフォード大学を飛び級して3年で卒業し、ダイヤモンドバックスに入団。
2012年西武入団後は、西武ドームまで電車通勤していた。
また、熱い一面も持ち合わせており、チームが連敗・栗山も骨折と暗雲立ち込める試合の前に「勝者と敗者の間には、1センチの差しかない。俺たちはチャンピオンを目指すチームだ。きょうはチャンピオンのように闘おう。チャンピオンは、あきらめない」とナインを鼓舞し、チームを勝利に導いた。
しかし手術した右ひざの状態が悪く自身は結果を残すことができなかった。
引退後は、創業者の年収が1兆円ともいわれる世界最大のヘッジファンド「ブリッジウォーターアソシエーツ」でプロジェクトマネージャーとして働いている。
なんでこんな人が野球やっていたのか不思議でならない。Baseball Life 再スタート石川のクリス・カーター選手が西武に移籍決定! : Baseball Life 再...http://blog.livedoor.jp/sitihonngi1995bw/archives/1842471.html写真はオープン戦で撮影したクリス・カーター選手。先日、去年まで所属していた西武ライオンズに移籍することが発表されました。写真は金沢市営球場で行われたオープン戦で撮影した一枚。石川戦はこの試合とGWに長野県営で行われた合計2試合しか観戦する機会がありません
- #6 井端 弘和(中日ドラゴンズ)
- ショートの名手。セカンドの荒木雅博と共に鉄壁の二遊間と呼ばれ、セカンドベース後方で荒木が打球を捕り井端へグラブトス、井端が回転しながらファーストへ送球する「アライバサーカス」と呼ばれるコンビ芸を持ちネタとしていた。
(参考:https://www.youtube.com/watch?v=dPveihuERI4)
報ステの河野明子アナとレスリング吉田沙保里選手の双方からラブコールを送られるも結局女子アナを選び、日本スポーツ界の今後を担う人材の誕生を夢見た人々から落胆の声が上がったが、実は河野アナもラクロス元日本代表。
- #6 コーディ・ランサム(MLB→埼玉西武ライオンズ)
- 2014年に入団した助っ人外国人。日本での成績についてはいいところを探すのが難しいレベルで、2014年7月27日に戦力外通告を受けている。(さよなランサム) 彼について語られるべきは、NPB史上屈指の中毒性を誇る応援歌である。 レッツゴーコーディーラーンサームラーンサームラーンサーム レッツゴーコーディーラーンサームオオオオオー というシンプルすぎて覚えやすい歌詞とメロディがパリーグファンのハートを鷲掴み。 オールスターに出場していないにも関わらずパファンがアカペラで歌ったり、とっくにさよなランサムしている9月のロッテ戦では、ロッテ応援団がランサムの応援歌を歌い、西武ファンが乗るという奇跡のコラボも生まれた。 MIDI版はアレンジもよく非常に中毒性が高いため、やきう民の作業用BGMとなっているとかいないとか。
(MIDI版:https://www.youtube.com/watch?v=ZnsqdCAJJC0)
- #5 佐々木恭介(近鉄バファローズ)
- 兵庫県立柏原高校→新日鐡広畑を経て、1971年、近鉄にドラフト1位で指名されて入団。1978年、首位打者、最高出塁率のタイトルを獲得。1982年限りで引退。その後は近鉄でコーチ、監督を務め、他に阪神、中日、日本ハムでのコーチ経験がある。
近鉄監督就任直後の1995年、「中日、巨人以外なら社会人」と宣言していた福留孝介(当時、PL学園高校)を強行指名。7球団競合の末、当たりくじを引いて「ヨッシャー!」と喜んだまでは良かったが、結局福留は入団拒否(アカンやん)。福留とは中日で打撃コーチと選手の関係として再会し、2002年に福留に首位打者を獲得させている。打撃コーチとしての評価が高く、福留以外には近鉄で金村、村上を、阪神で亀山、新庄を指導している。
なお、佐々木恭介自身も、1970年に東映フライヤーズのドラフト指名を断っている他、実は相撲が強かったので相撲部屋からのスカウトがあったとの話もある。
- #4 バレンティン(MLB→東京ヤクルトスワローズ)
- 2011年に来日すると史上3人目の最低打率でのホームラン王、2012年はシーズン中にケガで離脱したものの2リーグ制以降初の規定打席未達でのホームラン王を達成。
2013年には、WBCでのケガで出遅れたものの、6月には4打数連続本塁打などで月間打撃三冠、8月には月間本塁打記録を更新する18本の本塁打を放つ。9月15日には阪神榎田から56号ホームランを放ち、アンタッチャブルレコードと言われていた王貞治の55本の記録を破り、最終的に60本の本塁打を放った。
この年は、.330 60本 131打点の大活躍だったが、ホームラン王のタイトルを争っていたブランコの勢いも衰えず、ホームラン王のみの獲得となった。しかし、60本の新記録が認められ、最下位球団から史上初めてMVPに選出されている。
ちなみに応援歌は、同郷でオランダ代表監督のミューレンのアレンジである。
- #4 荒波翔(横浜高→東海大学→トヨタ自動車→横浜DeNAベイスターズ)
- 準備はできたか? Ladies. Hey Boys よそみしないで、Everybody さぁみんな騒いで(Stand up and Jump)!
軽快なカーニバルの音楽で観客のタオル振りと共に登場。
言わずとしれた、横浜DeNAの横浜高出身メンバー。遠投110メートルの強肩と広い守備範囲、一塁到達が4秒を切り、50メートルを5秒7で走る俊足外野手。
ゴールデングラブ賞は、2012年・2013年と2回獲得。
高校時代に、自打球による足骨折。大学では右ヒザ靭帯断裂。プロ野球では右頬骨陥没骨折や右足の肉離れなど、ケガ×。
そのため、度重なる足の怪我や桑原・関根など若手の台頭により出番が少なくなっている。
2700のツネと似ている。
- #3 敷田 直人
- プロ野球審判員。審判員袖番号は3。新日鐵君津時代(社会人野球)は松中信彦や下柳剛とチームメイトであった。見逃し三振のジャッジの際に「卍」のようにポーズをとり、これがプロ野球ファンの中で人気が高い。2016年4月30日広島対中日では見逃し三振のジャッジでウサイン・ボルトの弓矢ポーズのような動きをして話題になった。
- #3 清原 和博(西武→巨人→オリックス→ヤク→檻)
- KKドラフト事件を乗り越え、85年ドラフトで西武に入団。(希望していた巨人にはPLで共に名をはせた桑田が入団)
高卒新人として初の3割30本を記録。この記録を達成した選手は未だに出現していない。
87年の巨人との日本シリーズで王手をかけた第6戦の9回にはグラウンドで涙を流し、「9回、ファーストから、三塁ベンチの巨人の選手、王さんの姿が見え、ドラフトのことを思い出し涙が止まらなくなった」と自著でコメントしている。
89年には、史上最年少で通算100号ホームランを達成するなど、西武黄金時代を長く支えた。
その後は巨人・オリックスでプレーし、タイトルには恵まれなかったものの通算525本塁打(歴代5位)
2000本安打、500本塁打、1500打点を達成した打者は日本プロ野球史上清原を含めても6人しかいない。
右方向へのホームランが非常に印象的で、唯一無二の広角へ本塁打を打てる選手であった。
- #3 長嶋 茂雄(立教大学→読売ジャイアンツ)
- プロ野球を国民的スポーツに引き上げた功労者。かつてプロ野球より学生野球の方が人気であったが、六大学野球のスター長嶋茂雄が巨人に入団し活躍する事でプロ野球の地位は向上した。
首位打者6回、本塁打王2回、打点王5回、最多安打5回、最多安打10回、シーズン打率3割以上11回。
長嶋が全盛期だった時代はリーグ平均打率が.230など極端な打低投高の環境下であり、彼の成績はずば抜けていた。大舞台に滅法強く、日本シリーズでは通算68試合に出場して打率.343、出塁率.402、長打率.694、OPS1.096。日本シリーズMVP通算4回獲得は史上最多、皇室観戦試合では通算10試合で打率.514を記録している。
野村克也は守備時に打者の私生活などについてささやいて動揺を誘い集中力を奪う戦術をとっていたが、長嶋茂雄相手には、会話が噛み合わなかったり、「バッティングフォームが崩れている」と指摘した際にタイムをかけられ素振り後にホームランを打たれる等通用しなかった。
- #2 デレク・ジーター(ニューヨーク・ヤンキース)
- 19年間ヤンキース一筋でプレーをしたニューヨークの貴公子。
打撃タイトルには無縁であったが、通算3465安打(歴代6位)、通算1923得点(歴代10位)等、輝かしい実績を持つ。類まれなリーダーシップを持つ人格者と知られ、毎年優れた成績を残すが、個人記録には興味を示さず、常にチームの勝利を第一に考えている選手であった。ポストシーズンでは特に勝負強さを発揮し、通算.308を記録。通算200安打、通算111得点は歴代最高。
2014年に現役引退を発表し、ヤンキー・スタジアムでのホーム最終戦では、5-5の同点9回裏1死二塁でエバン・ミークからサヨナラヒットを打った。引退を発表した際に「S」を彼の背番号2に置き換えた「RE2PECT」というCMがナイキ社により制作された。
- #1 山田 哲人(東京ヤクルトスワローズ)
- 2013年オフにチーズバーガー増量法という謎の手法により肉体改造に成功し、2014年.324 29本 89点 15盗塁という好成績を残す。
迎えた2015年シーズン、「去年がキャリアハイ」と言われながらも、SB柳田とともにトリプルスリーを達成し、リーグ制覇に大きな貢献をした。
今シーズンも「去年がキャリアハイ」と言われながら、三冠王に向け打ちまくっており、史上初の三冠王+盗塁王、松井秀喜以来の日本人50本塁打超えなどが期待されている。
すでに比較対象がイチローや落合などのレジェンドとなっており、やきうファンなら大谷と山田はMLBに行く前に見ておきたい選手。
- #1 王 貞治(読売ジャイアンツ)
- 世界のホームラン王。通算868本塁打、通算2170打点、通算2390四球、本塁打王15回、打点王13回は日本記録。早稲田実業時代はエースとして活躍し、2年の春の選抜高校野球ではチームを初優勝に導いた。決勝戦では9回2死に一塁走者を牽制アウトにし優勝を決めた。巨人では長嶋茂雄とともに活躍し、3番王4番長嶋のコンビはON砲と呼ばれた。
引退後は巨人とダイエー・ソフトバンクの監督を務め、計19年でAクラス15回、リーグ優勝を4回経験した。第一回WBCでは監督として日本を世界一に導いた。ダイエー低迷時代では球場で王監督を批判する横断幕が掲げられたり選手の乗ったバスに生卵がぶつけられる事があった。
- #1 鈴木 啓示(近鉄バファローズ)
- 1965年、兵庫・育英高校よりドラフト2位で近鉄バファローズに入団。以来、プロ生活20年で通算317勝(NPB歴代4位)、最多勝3回、最高勝率1回、最優秀防御率1回の大投手。入団当初は速球派で力任せの投球をしていたが、西本幸雄監督就任後は、徐々に配球・コントロールを重視した技巧派投手に変身。これにより、奪三振数は減少したが、失点や四球も減少した。なお、もともとコントロールが悪かった、ということではなく、無四球試合78はNPB歴代1位。現在のところ、NPB最後の300勝投手であるが、この後300勝に到達する投手は現れそうにない。また、先発勝利に限ると通算288勝で、これはNPB歴代1位。
一方で、被本塁打は近鉄が本拠地としていた狭い日生球場のおかげもあって560本を数え、2位の山田久志の被本塁打数490本を大きく引き離すNPB歴代1位。それどころか、MLBのジェイミー・モイヤーの記録(522本)をはるかに上回っている。
自身の技術を突き詰めていくことについては文句がなかったが唯我独尊の性格でもあり、指導者としてはどうか、と、現役時代に野村克也から指摘された通り、近鉄監督としては…。結局、野茂英雄と対立し、野茂がMLBへ移籍する一因となってしまった。一方で、まだまだ若手投手の頃、先輩である近鉄の元選手から紹介された人物が暴力団関係者で、八百長を持ちかけられたがきっぱりと断り、「野球のできない体にしてやろうか」と脅されても「八百長やるぐらいなら家業の酒屋を継ぐ」、と、きっぱりとはねつけている。
本人の座右の銘は「草魂」。現役当時、公共広告機構のCMに出演し、「人生、投げたらアカン」のフレーズは流行語となったが、考えてみれば本人は投げる職業である。
- #0 木村 拓也(日本ハムファイターズ→広島東洋カープ→読売ジャイアンツ)
- 投手を除く全てのポジションを守れる球界屈指のユーティリティプレーヤー。愛称はキムタク。
通算では二塁手と外野手の出場が多いが、日本ハム入団は捕手としてだった。派手さは無いが、負傷で捕手がいなくなった試合で10年ぶりに捕手の役割を務める、緒方孝市(現カープ監督)の引退試合では途中出場でセンターの守りについた緒方のいる所へ打球を飛ばす等、器用さを持ちあわせている選手であった。
引退後巨人軍コーチに就任し、新人研修では以下の発言があった。『自分は「こういう選手になろう」と思ってここまで来た選手じゃない。こうやるしか思いつかなかった。それが「ユーティリティープレーヤー」、「何でも屋」で、それでもこの世界で食っていける。「レギュラーになる、エースになる」だけではない。巨人の藤田宗一投手は、中継ぎ登板だけで自分と同じ歳までやっている。それで飯が食える、それがプロ野球。「俺が一番うまい」と思って入団して、一番得意だった事がうまくいかない。それもプロ野球。その時にあきらめるのではなく、自分の話を思い出してほしい。投げ出す前に、自分自身を知って可能性を探るのも必要ではないか』
ドラフト外のプロ入りから始まり、野球を少しでも長く続けていく為に様々なポジションを守った苦労人らしい言葉である。














